Wednesday, September 27, 2017

猫が行方不明


映画にまつわるwebマガジン「Cinema Stutio 28」で連載中の映画と京菓子のコラム、第4回目を更新しました。

今回の映画は、1996年のフランス映画『猫が行方不明』。


ちょっといじわるな編集や、大胆でスタイリッシュなギミックに、あらやだ、おしゃれ~!となることうけあいな作品!

と紹介してしまうのは、ちょっと不本意かもしれない。

だって、わたしがこの映画を好きな理由はそこじゃなくて、移り変わる"街の記憶"の描き方と、すべては時間から逃れられないことを自覚する"映画の眼差し"があるからです。

舞台となるパリ・バスティーユは、当時、アンダーグランドな流行最先端のエリア。今の東京で言うところの、墨田区とかそのあたりをイメージするとわかりやすいかも(知らんけど)。

ヒップなカルチャーが生まれるのは、いつだって穴ぼこだらけのすき間から。

愛着のある古い建物は重機で壊され、辺りは工事中ばかり。昔なじみの商店跡には、若者の無鉄砲さがはみ出すショップが入居し、思い出は外壁に少し残るだけ。昔からのお年寄りたちは眉をひそめつつ、それでも生活は続きます。

そんな、瞬間、瞬間の都市の横顔とその愛しさを、ただただフィルムにプロットする。一方向にしか流れない"時間"というものを前に、映画の眼差しは、人類愛を湛えながらも至ってドライです。

本作はもちろん、セドリック・クラピッシュ監督の映画のラストは、走ったり、歩いたり、車が走り出したりして、それが爽やかな救いになるのが好きなところ。いつだって、感情移入させる前に動いてどこかに行ってしまう、その薄情さこそが時間芸術である映画そのものなのだ、みたいな気さえしてきます。

街が忘れていく記憶を、時間は決して流れ終わらないことを、切実に、ていねいに描く映画です――

なんて、締めにちょうどいいフレーズが出てきましたが、再見してから90年代ハードコアテクノにガンはまりしてしまいました、という話もさせて!

理由はこれ!



これ、主人公が超カッコイイ超超超クソ男とヤッてしまったあとのコインランドリー~仕事のシーンで、最悪な気持ちを覆いつくすように大音量で流れるのですが、その使い方がかっこよすぎて、まじで最高!ぜんぜん中身に集中できない!(しかもこのあとすぐ白昼夢のドビュッシーにつなぐの!)

この映画をはじめて観たときはまだ、インターネット前夜の時代。これが誰の何という曲なのか、わかるはずもなくそれっきりになっていました。しかし2017年にはShazamがあったのだ!ヤッター!という最近。この曲をリリースしたドイツの「Praxis」というレーベルを中心に、わからないなりにいろいろ聴いたりしています。そんなわけで、おすすめのハードコアテクノがありましたら、ぜひご教授ください!

cinemastudio28.tokyo

どうぞよろしくお願いいたします!




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