Friday, July 28, 2017

続・「知る」ことについて ― 理屈とわたし

(やや出し抜けに)

だからさ、知識の量っていうのは、=自分でラベルを貼ってきた作業量、もっと言うと、=主体的に動いてきた熱量ってわけです。

そうなると
どうして、より多くの知識を持つほうが(相対的に)上に立つんだろう?
っていう積年の疑問への答えが出ませんか。

物知りですごい(?)というのは、その労力、主体的熱量に送る拍手ってこと。顔が広くてすごい(?)っていうのも、それに近いものがありますね。行動量へのねぎらい、的な。

つまり、知ってる/知らないの差は、労力、エネルギーの差。その差で(相対的)上下関係が決まるってわけだ。ワーッ、明快!

しかしその主体的に貼ってきたラベルがいったいどういうものなのか、量に対して品質はどうなのか、そこらへんはまた別の話になるわけですけど・・・

はい、どうですか、めんどくさいでしょう。理屈っぽい?そうだと思う!でもこうやってロジックにしないとわかんなかったんです。どうしても、「当たり前だから」じゃ納得できなかった。融通が利かない?オッケー、それでいいよ!

なんかでも、最近思うのは、理屈っていうのは多感なひとの為にあるんじゃないかな~ってこと。四方八方感じすぎて、混沌としてる状況に秩序が欲しいから、理屈をこねるんじゃないかなあ。少なくとも、わたしの場合にはそうです。

あとね、理屈の根源には、もっと良くしたいっていう強い欲があるから好きですよ!たとえ良くしたいのが、自分の都合だけのことを指していても、です。とても切実でロマンチックな、願いだと思う。

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